日本人のフリをして韓国人が酷い事書いている (7)

1 名前: 名無しさん@日本語勉強中 : 2011-12-21 23:38 ID:2X8paL+R

 四十余年間、渡米の扉を閉ざされていた韓国人が怒濤(どとう)のごとく押し寄せたのは1960年代末以後のことである。

 50〜60年代、米国では黒人の公民権運動が燃え広がり、64年に公民権法が制定された。人種差別撤廃の潮流の中、
翌65年にはアジア人移民を禁じていた移民法が改正され、68年に発効した。

 当時、韓国は軍事独裁政権のもとで政治・経済的混迷が激化していた。未来に希望を見いだせない韓国人は、アメリカン・
ドリームに活路を見いだすべく移民の道を選択した。当初、ロサンゼルスのオリンピック道路に数軒の店舗が形成された。すると
続々と新移民が流入し、またたく間にコリアタウンが拡大した。

 韓国人移民の特徴は、高学歴者や専門技術者が多数を占めたことだった。が、異国で専門技能を生かすことはできなかった。
飲食店や洗濯屋などの従業員として働き、小銭が蓄積されると小さな店を開業する。生活は1日10時間以上、年中無休の
働きづめだった。

 忘れられない父子がいる。離婚後に渡米し韓国料理店を営む父は、5年間、1日も休まず働き続け、ようやく息子と2人で
バス旅行に出かけた。「自分の夢は、いつかカバン一つ持って世界旅行をすることだ」とつぶやいた彼の生き様に胸が締め付けられた。

 ところでコリアタウンが拡大すると家賃(家主は白人)が急騰した。そのため新移民は廉価な地域に進出し始めた。コリアタウンの
南に隣接する黒人地帯、サウスセントラルとワッツである。

 かつてその一帯は白人住宅地だったが、65年に黒人のワッツ暴動が発生した後、白人は北部に移住していった。そのため白人
が支配していた商圏の空白が生じた所に韓国人が入り込んだのである。

 彼らは懸命に働いた。ところが商売が軌道に乗っていくと、黒人の間で「コリアンは自分たちからカネを稼いでいる」という非難や、
文化の差異に起因する摩擦が表出したのである。

 いわゆる「韓黒葛藤」はニューヨークから噴出した。ニューヨークにおいても70年代以後韓国人が急増し、資本の乏しい者は
黒人地帯のハーレムに進出していた。

 84年10月、ある青果店で韓国人店主が黒人顧客と言い争いになり殴打されたため、顧客が警察に連行された。すると
黒人団体による不買運動が起こり、連邦捜査局が介入するまで6カ月間継続した。

 事件にマスコミが飛びついた。マスコミは、白人ではなく、韓国人と黒人間の対立という構図を必要以上に強調した。その後も
韓国人と黒人間のトラブルが生じるたびに大々的に報じられ、いつしか「韓黒葛藤」という語句がひとり歩きし始めた。

 韓国人側は訴える。「自分たちは黒人の生活用品を販売しているのになぜ非難されなければならないのか。またマスコミは、
黒人が韓国人に窃盗や強盗をはたらいても関心を示さないのに、なぜ黒人が被害者のときだけ大きく報道するのか」と。

 しかし韓国人側には真摯(しんし)な反省の声もある。「韓国人はカネが儲かると豪華な家や車を購入したがるが、それでは
ねたみを買うのも無理はない。黒人地域にも還元すべきだ」と。

 そうした主張に接するとき、私は胸がつまる思いがした。人間誰しも住み慣れた故郷を離れて遠い異国に移民などしたくはない。
それでもやむを得ない事情のためにイチかバチかの覚悟で移民の道を選んだ者にとって、家や車を手に入れることこそが成功の証
なのだ。しかしその成功は黒人の目には「俺たちから搾取して儲けてやがる」と映る。さらにマスコミは、新参者である韓国人に偏見
を向ける傾向がある。

 こうしたさまざまなギャップが極限の形に凝縮され暴発したのが92年のロス暴動なのである。

ソース(毎日新聞、ノンフィクション作家・高賛侑氏)
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20111217ddlk27070375000c.html

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